はて子

(2005年11月20日)

 ピリピ1:2〜6 主にある兄弟姉妹の皆様へ、

 昨晩私は久しぶりに中国人S姉妹の所に遊びに行って来ました。彼女は中国の家の教会の指導者で迫害され、今年の初めにアメリカに難民として来た姉妹です。彼女は中国の母教会(南中国教会、中国の家の教会の中でも特に激しく迫害を受けている教会で、今現在1000人の牧師、兄弟姉妹が投獄されている)から送られてきた懐かしい主にあある同僚や兄弟姉妹の写真を見せてくれました。。。。彼女の牧師の無期懲役をはじめ、彼は10年、彼女は15年、この人は3年、彼は8年、、、、などなどと出てくる写真ごとに、S姉妹のこういう説明がたくさんたくさんありました。こういう話と彼らの写真を見聞きするのは、勿論昨晩が初めてではなかったのですが、時々写真のファイルの中にビデオクリップが入っているのです。でもあのビデオを観るのは初めてでした。

 そのビデオは今年の8月にアメリカから聖書をS姉妹の母教会に届けられた時の様子を写していました。誰かがその聖書が入っているスーツケースを開いた途端、たくさんのたくさんの中国人の兄弟姉妹達が我れ先にとばかりに、それはそれはすごい勢いで中国語の聖書を自分たちの手に取ったのです。その聖書を手に取った彼らは、本当に宝物の様に口づけして、頬ずりして感動して泣いて、主に感謝の祈りを捧げている姿を見て、私は大いに感動しました。
 今晩はそのビデオの中国人の兄弟姉妹達の事を分ち合いたくて、今こうやって皆さんにメールしているのです。S姉妹が言うには、今は昔と違って家の教会でもたくさんの聖書を手に入れる事が出来ているんだけども、彼女の教会はまだまだ聖書を持っていないクリスチャン達がいっぱいいるんだと。。。。何万人、何十万人もいる教会ですから、、、
 
 私が20年前、ある宣教アウトリーチで一人25キロ?の聖書を担いで香港から広州に入って、間接的だったけれども中国語聖書を届けるという恵みにあずかった事はなんて幸いな事だったんだろうかと昨晩あらたに思わされたのです。あの時は私たちは家の教会のクリスチャン達とは接触は出来なかったけれども、確かに私達が運んだ聖書は無事に家の教会に届けられて、中国人の兄弟姉妹達が喜んでくれたに違いない!そして、その聖書を手にしたクリスチャン達が伝道して、彼らの働きを通してまた多くの魂が主によって勝ち取られたと信じています。今晩20年前に一緒に聖書を中国に密輸した兄弟姉妹方、そしてまた別のルートでそういう働きに関わった皆さんに、昨晩私が観たビデオの感動を伝えたくお便りします。。
 
 中国だけでなく、北朝鮮やラオスなどアジアの諸国の迫害されているクリスチャン達の事も私たちは覚えて祈らなければならないと強く導きを感じます。私は個人的に、特に私たち日本人クリスチャンは、アジアの国々に出て行ってイエス様の事を伝えて行かなければならないと、またその責任があると思うのです。近い将来日本はイエスさまに触れられて、日本からたくさんの人達がアジアに宣教師(短期/長期)として出て行くと信じ、私も御心ならばもう一度伝伝道に出て行きたいと願っているのです。
 
 私がこの地の果てのウエストテキサスに今住んでいる事も、主の導きだと信じています。アメリカの千人教会にたった一人の日本人として教会生活を送る事は、時には苦しく、寂しく葛藤を覚える事もたくさんありますが、この数年、主は20年前中国で交わる事が出来なかった家の教会の中国人兄弟姉妹をこのミッドランドに送って下さり、彼らとの関わりを通して私がこの20年間重荷を持って祈り続けている北朝鮮宣教への道を不思議な方法で開いて下さっています。何とこの地の果てのミッドランドでです!主にハレルヤと叫びます!
この町に移り住んで早14年になろうとしています。これまで色んな事がありましたが、主がこれからも私と私の家族を導いて下さる事を信じています。。。いつか証を書いて皆さんに送りたいと思っています。

(ピリピ3:12〜14 2:16)



地の果てまで主の証人となって(2) 

                 「恵みの雨」2007年3月号

赦しと和解を求める
 二十年前、韓国の伝道旅行で、チームのメンバーと私は戦時中に日本人が犯した罪
を示され、韓国の方々に謝罪しました。その結果、和解が与えられ、主からの祝福を
受けました。私はこのアメリカでも、機会が与えられたらアジアの人たちにお詫びを
したいと願っていました。
 中国から亡命してきてこの町に住んでいる家の教会のリーダー、ボブさんに、ある
晩、「法子も中国宣教にかかわっているから」と誘われ、宣教会議に出席することに
なりました。その会議で、私は日本人クリスチャンとして、集まった中国の兄弟姉妹
方に赦しと和解を求めたのです。彼らは喜んで赦してくださいました。そして、私
は、主がこの霊的行為を祝福してくださり、近い将来、日本に大きなリバイバルを起
こしてくださるのだと信じました。
 その直後、私は中国から難民としてやって来たばかりの兄弟姉妹たちを乗せて車を
運転していて、事故に遭いました。しかも当て逃げです。これはサタンからの攻撃だ
と感じましたが、主は私たちを守ってくださったのです。しばらく鞭打ちの後遺症で
苦しみましたが、私は主が日本に、また中国に、これから大きな事をしてくださると
確信し、そう宣言しました。

一粒の麦が実を結ぶ
 その後、神様は私の長年の願いだった「北朝鮮宣教」にかかわるように導いてくだ
さっています。
 ミッドランドは、雨があまり降らない荒野の町です。西部劇に出てくる「タンブル
ウイーズ」(コロコロ転がる乾燥した丸い草)を見て感動したのは初めのころだけ
で、暑い砂漠気候の中での生活は平凡で、退屈です。けれども、日本から、アジアか
ら遠く離れたこのテキサスの砂漠の小さないなか町で、自分ではとても考えられな
かった事が起きているのです。「わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたし
の思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ書55章9節)。神様がこれまで、
私をこの地の果てにまで導いてくださったことを思います。
 五年前、四番目の子セリーマを天に送った後は、たとえイエス様の信仰に立ってい
るとは言え、悲しい、心痛む毎日でした。けれども、「一粒の麦がもし地に落ちて死
ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」
(ヨハネ12章24節)のみことばの通りに、神様は、私の愛する子セリーマを「一粒の
麦」としてくださったのです。「一粒の麦」が今、みことばの通りにこの地で実を結
びつつあるからです。二十年間持ち続けていた北朝鮮に対する私の思いと願いが、聞
かれているのです。それは「アジア人を送ってください!」という私の単なるつぶや
きだったかもしれません。でも、「神は、御心のままに、あなたがたのうちに働いて
志を立てさせ、事を行わせて下さるのです」(ピリピ2章13節)。
 そして、その答えとしてこの町に中国人を送ってくださり、脱北者の方々を連れて
きてくださり、北朝鮮のための祈祷会を始めさせてくださいました。また、世界各国
の迫害されているクリスチャンを助けるミニストリーを行っている人権活動家のアメ
リカ人姉妹と出会わせてくださいました。ブッシュ大統領やワシントンDCとかかわ
りがあるこのミッドランドを、神様は特別に大きく用いてくださっているのです。イ
ザヤ書五五章五節のように、各国から大勢のクリスチャンをこの地に送ってくださ
り、神様が不思議な方法で主の計画をなそうとしておられるのはなんとすばらしいこ
とでしょう。その事のゆえに私は興奮し、主を賛美しています。

日本からアジアへ
 神学校へ行き、宣教師になるための学びをして、いつの日か北朝鮮へ行きたいと願
いつつも、現実の生活では妻と母親業に追われる日々です。これが今、神様から与え
られた私の第一のミニストリーです。しかし、今のこの生活においても主は私と共に
いてくださり、日々導いてくださっています。
 「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスに
おいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っている
のです」
        (ピリピ3章14節)
 これまで日本の教会は西洋諸国からたくさんの恵みを受けてきました。しかしこれ
からは、日本のクリスチャンが北朝鮮、中国、アジア諸国へ目を向け、福音を携えて
出て行く番です。それが日本の教会にとっても祝福となり、日本のリバイバルに必ず
つながると信じ、私はこの地の果てのようなテキサスの砂漠の小さな町から、日本の
ために、そしてアジアのために、日々お祈りしています。主の祝福が日本の皆様に豊
かにありますように。

                                  
はてこ

地の果てまで主の証人となって(1)

                 アメリカ・テキサス州ミッドランド在住
                           はて子
北朝鮮への思い
 私は十八歳の時に救われ、クリスチャンになりました。その瞬間、私はこう叫びました。「イエス様、あなたのことを地の果てまでも伝えに行きます、行かせてください!」。それから数年後、短期聖書訓練学校で学び、日本国内、中国、韓国、フィリピンへと伝道旅行に行くチャンスが与えられました。
 私には幼い時から外国へ行きたいという願いがあり、救われてからはその思いが強くなりました。しかし、アジアには全く興味がなく、北朝鮮という未知の国には恐れすら抱いていました。「主よ、私はあなたのためなら地の果てまでも行きます。でも、絶対に北朝鮮みたいな国には行きたくないです」と祈っていたのです。
 初めての海外伝道旅行で私は中国に行き、聖書を密輸するという、エキサイティングな体験をしました。直接中国のクリスチャンたちと接触することはできませんでしたが、持参した聖書は家の教会へ無事に届けられました。
 次に訪れた韓国で、不思議なことに、北朝鮮に対する特別な気持ちが湧き上がりました。この国が遠くに見える場所で、こう祈らされたのです。「導いてくださるのならば、いつの日か北朝鮮へ福音を携えて行きたいです! いや、せめて中国と北朝鮮の国境の町へ行って伝道したいです!」。
 数カ月後、次のみことばが与えられました。「わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする」(イザヤ書49章6節)。若かった私はすぐにでも韓国へ渡り、神様の時が来たら北朝鮮へ入るのだ、と考えました。しかし、私の計画と主のご計画は違いました。

テキサスの砂漠の町で
 数年後、私はアメリカ人の主にある兄弟、Dと結婚。約十六年前にここ、テキサス州ミッドランドに引っ越してきました。この砂漠の町にだけは住むまいと思って日本を離れたのですが、この町で子どもたちが生まれ、こんなに長く住むとは当時は想像もしませんでした。
 周りに日本人のいないテキサスでの生活は寂しく、日本の教会から全く切り離されたようで、初めの数年は、私の人生は終わった、と思う毎日でした。信仰生活もだんだんとおろそかになり、失望していました。しかし、神様が何年も前に私に聖書のみことばから語ってくださった約束は常に私の心にあり、それを信じ続けることでなんとか信仰を保っていました。

子どもを天に送る
 主は私たち夫婦に息子と双子の娘たちを与えてくださいました。けれども七、八年前、数少ない主人の家族が次々と亡くなり、周囲はますます寂しくなりました。そんな中で四人目を妊娠した時には、私たちは大喜びしました。私は昔から子どもは四人欲しいと願っていて、これでフィックス家は大家族になれる、と思ったからです。
 ところが四人目の子、セリーマ(ヘブル語で「平安な子」)はあまりにも多くの障害を持って生まれてきたのです。医学ではどうすることもできませんでした。おなかを痛めた自分の子を数カ月で天に送るなどと、だれが考えたでしょうか。私たち家族にとって、それはことばでは表現することができないほどの心の痛みとなりました。
 それから五年の歳月がたち、主は私たちの心を少しずついやしてくださっています。私たちの理解を超えた主のご計画があり、主がすべてを益にしてくださる、と信じています。

中国人クリスチャンがやって来た!
 「主よ、アジア人をこの教会に送ってください」。三年前、英語の生活に疲れた私はこのようにつぶやきました。それが祈りになりました。
 それから半年後、なんと中国の家の教会の指導者たちがこの町に送られてきて、ここで中国人宣教会の働きを始めたのです。二十年前、直接コンタクトできなかった中国の家の教会のクリスチャンが、ここテキサスの砂漠の町で暮らし始め、私はこの町唯一の日本人クリスチャンとして彼らの隣人、友人となり、主にある交わりが始まったのです。
 そして一年前、この町で毎年行われているクリスチャンの集会に、北朝鮮宣教の働きをしている韓国人牧師が脱北者の方々を連れて来ました。私は主のなさることに圧倒されました。その後、韓国人、アメリカ人の姉妹たちと北朝鮮のために祈る会を始め、韓国語教室に通い始めました。 (つづく)

                  「恵みの雨」2007年2月号