松本望美

松本望美宣教師の紹介

ドゥリハナ北朝鮮宣教会宣教師。 現在東京に事務所を設置し、日本国内外の脱北者の支援をし、日本また世界を駆駆け巡り北朝鮮の実情、宣教の必要性を報告し、宣教のサポーターを集めている。 みなさんの教会で彼女を迎えて、北朝鮮の報告会の時を持ちませんか? 連絡先は、durihana_jp@yahoo.co.jp 
 *彼女のメッセージをダラスの日本人教会のホームページで聞くことが出来ます。(日本語、英語)      International Christian Church(ICC)

「37歳、独身です。」


 韓国人との初対面のあいさつには、なかなか慣れなかった。自分の名前を言ってから、必ず聞かれる質問があるのだ。「何歳ですか」そして「結婚していますか」である。儒教の影響もあるせいか、韓国では相手と自分の関係を明確にし、年齢にあった対応をしなくてはならないからだ。


 年齢を聞かれたのにもひいているのに、「結婚していますか(韓国語では、結婚しましたか)」は、さらにプライベートな質問なので、最初はかなり面食らった。「いいえ、していません。独身ですけど」というと、さらに相手はこう続ける。「どうして結婚できなかったのですか?」ええ? これからするかもしれないではないか! と腹の中では思っていても、まだ日本人らしかった私は、「さあ?」とほほえんでいた。


 教会の人たちと食堂に入り、私は「キムチチゲにします」と言っても、「キムチチゲじゃなく、ビビンバにしなさいよ。ここはビビンバがおいしいからね。さあ、注文しましょう!」と言って、結局、食べたくないビビンバを食べるようなことは、日常茶飯事だ。こんな感じだったので、韓国に来たばかりのころは、韓国人に向かって日本語で怒っている夢ばかり見ていた。


 韓国では、薬局の数以上の教会があるといわれている。近所にも小さな教会がある。小さいといっても五十人はいる。しかも、ウズベキスタンやフィリピンで現地教会を作り、世界宣教もしている。


 その教会の早天祈梼会や水曜日の祈梼会に行っているのだが、本当にあたたかく、ほっとする教会だ。牧師も謙遜で穏やかで、反日感情が高まっている中で「望美宣教師に竹島問題や教科書問題のことで論議をふっかけないように」と信徒に伝えてくれていたり、韓国のキリスト教事情を教えてくれたりする。


 牧師夫人は、私を妹のようにかわいがってくれて、キムチを大きなタッパーにつめて持たせてくれたり、料理を教えてくれたり、あれこれと世話をしてくれる。冬には、コートを引っ掛けるように着ている私を呼びとめ、コートのボタンをすべてかけ、さらにマフラーを巻き、「さあ、気をつけて帰ってね」と言う。私は、自分が何歳なのか忘れてしまうほどだ。


 大きな教会で多くの信徒と一緒に讃美し、お祈りできるのも恵みだし、小さな教会でアットホームな雰囲気を味わうのも幸いだと思う。


 韓国に住んで四年目。気がつくと、日本に一時帰国して報告会をする教会で、「松本望美です。三十七歳です。独身です。でも、いつか結婚するかもしれません」と自らあいさつするようになっている。


いのちのことば 2006年03月号掲載  天国へのずっこけ階段第

 

チョー・ヨンピルではなく


 最近日本では韓流ブームだそうで、それは今も続いているようだ。


 日本の友人からは、ヨン様のプロマイドを送ってだの、だれそれのCDを買ってきてくれだのと言われることが多かった。頼まれもしないのに、ヨン様のサインをまね、プロマイドに書いて送ったこともある。


 教会へ宣教報告に行っても、やはり韓流ブームだった。「韓国語の勉強を始めました」「韓国語の讃美を歌えるようになりました」と言う方が多くなった。交わりの時には「チェ・ジウは、どんな信仰のクリスチャンですか」とか「クォン・サンウは、自分の出演した映画がきっかけでクリスチャンになったそうですが、教会には通っているのでしょうか」などと聞かれる。しかし、私はソウルに住んでいる宣教師なだけで、彼らの信仰生活のことまではわからない……。


 ソウルに教会ツアーで来られた方を案内することもあるが、繁華街にある韓流スターグッズの露店には必ず立ち止まり、「これ、○○さんにお土産!」とカレンダーやキーホルダーなどを買う人も多い。「恐るべし韓流……」と驚きつつ、「この写真なんかカッコよくないですか?」などと一緒に選んであげたりもする。でも、内心、「福山雅治のほうがカッコいいのになあ」などと思っている。


 韓国の若者からは、日本の芸能人について質問されることが多い。「望美宣教師は、タッキー&翼のどの曲が好きですか」とか聞かれても「ああ、タッキーって『義経』でしょ? なに? 義経、歌出してんの?」というレベルだし、「日本で一番有名な韓国の歌手はだれですか」と聞かれて「う〜ん、チョー・ヨンピルじゃないの」と答えて「違います! 今の若い歌手でですよ!」と怒られる。冬ソナすら一度も見たこともない私に、日韓の芸能ネタをふるのは野暮というものだ。


 日本でも韓国発のゴスペルが多く歌われている。代表的なのは「君は愛されるため生まれた」である。日本語に訳されたこの曲は、日本のみならず、日本人クリスチャンのいる国ならどこでも歌われるようになったようだ。この曲は、発祥が韓国でも韓流とはいわれない。神様の愛を伝えようとした張本人は、やっぱり神様ご自身なのだ。その神様が「みんな愛されるために生まれた。私が愛する対象として造ったのだからね」というメッセージを世界中に発信している。


 韓国の大きな教会で日本のクリスチャンが作った「威光尊厳栄誉」を讃美したところ、反響がよかったそうだ。やはり、神様をほめたたえる歌に国境はない。


 さて、韓流のスターたちにもクリスチャンが多いそうだが、天国までおっかけしませぬように。


いのちのことば 2006年04月号掲載  天国へのずっこけ階段

 

天井が壊れるほどハレルヤ  

 韓国人の友人に誘われ、ある教会の聖会に出かけた。マイクを持った牧師が壇上から、「天井が壊れるほどの大きな声で、ハレルヤ! と三回叫び、天にも響く声で父なる神様にお祈りを捧げましょう」と言った。


 「ハレルヤー! ハレルヤー!」と友人も周りも、張り裂けんばかりの声で叫んでいる。私が普通の声の大きさで叫んでいると、となりにいる友人から「望美宣教師! 声が小さい!」と怒られてしまった。「ハレルヤー!」と叫んでからせき込んでしまって、すぐに祈りに入れなかった私。逆に祈りに集中できなくて困っていると、「壇上にいた牧師が降りてきて、ひとりひとりの頭に按手をしながら大きな声で祈りはじめた。


 「望美宣教師、もっと大きな声で!」と友人が背中をたたく。私は日本語で、「神様、日本にリバイバルを起こしてくださあーい!! えーと、それからあー……」とがんばって叫んでみると、日本語のわかる友人から「えーとも、それからーもいらないから!」とまた怒られた。


 いよいよ牧師が近づいてきて、となりの友人の頭に手をおき……というよりは、両手でつかんで振り回しながら、大きな声で祈ってくれている。「ええー、次、私だよー。」なぜか怖くて泣きそうになった。そして、牧師が私の頭を両手で前後に振りながら祈り始めた。「アボジよー! 今、この姉妹に聖霊の油を注ぎたまえー!」そして、片手を離して、背中をバンバンとたたき始めた。


 「いたーい!」思わず日本語で叫んでしまった。牧師は、その声をどうとらえたのか、「主よー!」とますます力を入れてきた。それが終わってからは、ジェットコースターから降りたような感じだった。


 聖会が終わって、まわりの人とあいさつを交わすと、「牧師に按手されて、本当に恵まれたでしょ」とか「私たちの祈りが天に届きましたねー」と口々に言われ、教会を後にした。


 いろいろな信仰スタイルがある。大きな声で祈ることが好きな人はそうすればいいし、静かに祈ることが好きな人はそう祈ったらいいのだと思う。小さな声だから祈りは聞かれないとか、大きな声でなければ祈りは届かないということはないのだから、その人と神様との関係で決めたらいいと思う。


 私の場合は、大きな声では祈りづらいし、自由に口に出して祈りましょうといわれても、目をつぶって思いを集中したいのでほとんど口に出して祈らない。大きな声でも小さな声でも祈りは聞かれる。神様ははるか遠くにいるのではなく、すぐ近くにいるわけだから。


 その後は、「聖会があるけど、一緒に行かない?」と誘われるたびに「それって、天井が壊れるまで叫ぶの?」と聞くことが習慣になってしまった。


いのちのことば 2006年05月号掲載  天国へのずっこけ階段

 

宣教はキムチ持参で

 

 韓国に来た年の夏に、教会の人たちと一緒に東南アジアへ宣教旅行をしたときのこと。


 空港に集合し、チェックインする前に、「望美宣教師は、これとこれをチェックインのときに預けてください」と言われて渡されたのは、韓国のラーメン二箱分だった。参加者みんなで手分けしてチェックインしたのだが、ある人はキムチ数キロ、ある人はコチュジャン、ある人は韓国海苔……。


 そして案の定、私たちは訪れた宣教地で、毎食毎食、韓国料理を食べて過ごしたのだった。朝から韓国の即席ラーメンを食べた日もあった。「経済的に浮かすために、こうして持っていくのだな」と考えていたのだが、そうではなかった。


 自分が韓国に住むようになってから、日本へ帰ったり、また他の国に行く機会が増えてきたりすると、韓国人の気持ちがよくわかるようになった。「キムチが切れてくる」のだ。つまり、あのからくて刺激のある料理が恋しくてたまらなくなる! 私も彼ら同様、キムチにやられてしまった……。


 ある国に行ったときには、教会にビニールシート一枚を敷いて、みんなで川の字になって寝た。教会内はシャワーとトイレが一緒になっていた。シャワーカーテンがないところでシャワーを浴びていると、突然、「使ってもいい?」と言って女性が入ってきて、私が「ええっ!」と驚いている間に用を済ませて出て行き、さらにもうひとりが入ってきたこともあった。


 宣教会でアメリカに行ったときには、いろいろな人から「うちにぜひ泊まってください」と言われた。「ぜひ! うちには部屋がたくさんあります!」と、そう力強く言ってくださった方の家に行くことになった。


 しかし、到着してみると、小さな部屋二つと狭いリビング、そしてキッチンしかなかった。そこに、家主である三人と私たちの宣教会のメンバー四人が納まらなくてはならなかった。その夜、私は冷蔵庫と流し台の間で寝た。


 韓国人クリスチャンは、前の晩に、するめなどを食べながらどんなに遅くまで話していても、早天祈祷にはきちんと起きてくる。女性たちは、ばっちりメイクまでできている。私は、夜中のするめも無理だが、そんな次の日の早天祈祷はかなりつらい。


 彼らは、本当にタフだ。世界地図上に韓国人宣教師がいない国はないといわれている。このタフさがバネになって、全世界に散っていくのだろう。


 「宣教旅行をするとき、韓国人はキムチ持参ですものね」とある牧師と話していたら、彼は真面目な顔をして私に聞いてきた。


 「望美宣教師は、宣教旅行のとき、梅ぼしを何キロ持って行きますか?」


いのちのことば 2006年06月号掲載  天国へのずっこけ階段

 

おてもやんメイクで


 4年前、クリスチャンのスポーツ選手の家に遊びに行った時のこと。彼女はオリンピックにも出たことのある30代のシングルで周りの人も認める熱心なクリスチャンである。「いつも試合のたびに、神様、優勝させてくださいって祈ってたんだけど、それってエゴだって気がついて。悔い改めたら、神様が祝福してくださって優勝したこともあるの」と証しをしてくれた。


 そんな話を聞きながら、壁に大きくかかっている彼女の中学生時代の写真を見た。あれ……? 顔がちがう! 中学生時代の彼女の目は、一重で細い目をしているが、目の前にいる彼女の目は、ばっちり二重だ。「写真と顔がちがうね」と言うと「ああ、整形して二重にしたの」とあっけらかんと言う。さらに彼女は、「この整形は高い整形でね、10万円もしたの。だから、ほら、すごくナチュラルな二重になっているでしょ? ソウルでも有名なお医者さんにしてもらったから」とほほえんだ。


 韓国に住んで数年すると、教会内でも整形している人が多いのに気づいた。ある日、「望美宣教師、お祈りしてもらいたいことがあります」とひとりの大学生が寄ってきた。「実は、明日、鼻を高くする手術をするんです。二時からなので、合心祈檮をお願いします」と言う。「整形なんかしなくても、十分かわいいのに」と言うと「女性として神様が造ってくださったから、もっと女性として美しくね!」と言う。「神様が造ってくれたから、そのままでいいのよ」と言うと、「私が喜んで生活できることを神様も喜んでくれていると思います」と言う。国によって聖書の解釈が違うのか……??


 また、ある人には「あのー、私、目を二重にしたんですけど、気がつきませんか?」と言われ、「え? そうなの?」となぜか私がきまずい感じで答えると、「せっかく綺麗になったのに、ちゃんとほめてくださいよ!」と怒られる。私も冗談で「じゃあ、私も整形しようかなー?」というと、彼女に「望美宣教師は、整形よりも、まずはやせる努力をしてください!」とまたもや怒られる。


 見た目重視の韓国では、宣教師も服装や身だしなみが問われる。私が精一杯化粧して礼拝にのぞんでも、女性の執事から「望美宣教師、お化粧ぐらいして来てください!」と注意されることもしばしば。「おてもやんメイク」で行かなくては認められないのか?


 最近そんな私も、整形の見きわめにはかなり詳しくなった。電車では、「この人、ナチュラル手術だから10万円コースだ。こっちの人は、縫い目がわかっちゃうから安いね」とか「これ失敗かも?」と思える二重にも出くわす時もある。整形していない女性に出会えたときなどは、「あなたは、えらい!」とほめたくなる。相手はほめられてもうれしくないと思うが……。


いのちのことば 2006年07月号掲載  天国へのずっこけ階段

 

歓迎の歌って……  

 

 「歓迎する」というスタイルには、日韓で違いがある。


 韓国の教会では、初めて教会に来た人やゲストに対して、実によく気を遣って世話をしてくれる。「歓迎されてるなあ」と自然に感じることができる。国民性もあるのだと思うが、シャイな日本人の教会(海外含む)では、ほったらかしにされることが多い。


 礼拝が終わると、そそくさと自分たちの奉仕を始める、愛餐会でも「どうぞ、こちらへ」などと声をかけてくれる教会はそんなに多くない。ほうっておかれて、しかたなく自分なりに考えて食卓についたりする。これは私だけが感じていることではないらしく、ある巡回伝道者と話しているときにも「ああ、そうそう!」とうなづいていた。


 ノンクリスチャンを導くためには、日韓を問わず、心からの歓迎ムード、あたたかい教会の雰囲気は必須だ。大阪のある教会では、私のためのお世話係を決めていてくれた。その教会には本当に居やすかったし、溶け込めたような気がした。


 韓国から一時帰国をして、日本の教会に行ったときなどは「このドライなムードは何?」と思うが、韓国へ戻ると「望美宣教師、今年こそ結婚しなさい」など言われて、「ちょっと、ほうっておいていただけますか……」となる。足して二で割れたらちょうどいいと思うが……。


 それにしても、「歓迎」に関しては、本当に申しわけないと思っていることがある。


 韓国では、初めて訪問する教会で、「今日、初めていらっしゃった方は、前に出てきてください」とか、「その場で立ってください」と言われる。すると席についている会衆が「君は〜愛されるため生まれた〜」とか、そのほかの讃美を、私に向かって思い切り手を伸ばして歌ってくれるのであるが、私は非常に苦手だ。


 歌って歓迎してくれるのには感謝するが、私は立ってしまったことをひどく後悔する。拍手だったら一瞬で終わるが、一曲すべてを歌われると、その間どうしていいかわからない。歌詞すら知らないときもある。前に出ているとOHPで映し出されている歌詞を見ることもできず、ただどこかの一点を見つめることしかできない。「はずかしい」という感情よりは、「助けてほしい」といったほうが正しい。だから、「初めての方は……」と言われても涼しい顔して常連のふりをすることもある。。


 日本の教会でもそれをやっている教会があり、「じゃあ、望美宣教師を歓迎しましょう!」と言われたことがある。例のごとく歌を歌われたのだが、困惑した顔をしていたかもしれないというか、……わがまま宣教師ですいません……。


いのちのことば 2006年08月号掲載 天国へのずっこけ階段第

 

レッドデビル 


 W杯が終わり、ようやく韓国の街は落ち着きを取り戻した。


 韓国の応援チームは、“レッドデビル”と名づけられているので、W杯が近づくにつれ、町中に赤いTシャツを着た人があふれる。


 韓国の初戦の前、日本はオーストラリアと試合だった。私はひとり、息を飲みながら応援していた。日本が先制点をとると、小さく拍手をした。


 しかし、まわりの家から聞こえてきたのは「チェッ」という舌打ちや、「あ〜あ!」というため息だった……。そして後半。オーストラリアが続けて点を入れると、近所中の家が拍手喝さいして喜んでいた……。


 韓国の初戦は、対トーゴ。韓国時間で夜十時にキックオフだった。その日は、家の近所の居酒屋や食堂の店先に大型のテレビが設置されていた。早くから酔っ払って叫んでいる人もいる。


 「デーハング(大韓民国)! デーハング!」と近所のどこからか声がすると、近所中がひとつになって叫び始めた。ゴール付近に韓国選手が進むと、その声は絶叫になり、ビール瓶やお皿を箸で叩いてカンカン鳴らすご近所あり、床をどんどん蹴る上の階の住人ありで、こちらは窓を閉め切ってもNHKニュースが全然聞こえない。


 夜十時からだったら、まだいい。二戦目の対フランスも、三戦目の対スイスも明け方四時からだった……。


 フランス戦の時は、会う人、会う人が「今日は、早く家に帰って寝なくては!」と言っていたし、驚くことに、会社に泊まりこんで全員で応援するっていう人もいた。ある学校では臨時休校になったり、ある会社では、次の日“ゆっくり出勤”になったそうだ。日本では考えられないことだ……。


 その晩は耳栓をし、窓を閉めきって寝た。昼間にわざとハードに働き、自分を疲れさせ、眠くなるギリギリまで起きていた。そして、その“作戦”がうまくいき、朝までぐっすり眠れた。


 次の日、日本人の友人からメールがきた。「大通りに面したわが家は、行き交う車がみんな“デーハング”のリズムでクラクションを鳴らし、さらに、アパートの一階にある食堂でも、三時半から宴会が始まり、試合が始まるとすごい騒ぎで、一睡もできませんでした……」


 三戦目のスイス戦の時、私は飛行機の中にいた。「あ〜よかった! これで、あの喧騒から解放される」と機内でぐっすり眠っていた。しかし、明け方六時ごろ、突然、機長からのアナウンスが入った。何かあったのかと耳を澄ましてみると……、「お客様に申しあげます。本日行われた韓国対スイスの試合は、〇対二でスイスが勝ちました。しかし、フランスが何点取ったかによっては、韓国が決勝リーグに上がることができると思います。」


 お願い。寝かせて!

いのちのことば 2006年09月号掲載  天国へのずっこけ階段

 

牧師夫人は社長夫人!?


 韓国では、牧師の地位が高い。大きな教会の牧師になると、まるで大会社の社長の風格。そして牧師夫人は「奥様」と呼ばれ、いわゆるセレブである。日本の教会とは、まったく違うので最初は面食らった。私の歓迎会だというのでレストランに行ってみると、上座から牧師夫婦、長老と並び、なぜか招待された私が一番下座ということもあった。


 日本の牧師夫人のイメージと言えば、愛餐会での切り盛り、信徒たちの相談役、影で牧会を支える縁の下の力持ち……という感じだが、韓国は違う。社長夫人とでもいえる雰囲気の方がほとんどで、いつもきれいな洋服を着ているし、髪の毛のセットもばっちり決まっている。信徒たちは、おそれおおくて相談になんか行けない。


 愛餐会で私がほかの人の食事を運んであげていると、「宣教師なんだから、そんなことしなくていいの!」と怒られたりする。それに、「これ、信徒からのプレゼントだったんだけど、私はいらないから」と高価なものをもらったりする。


 儒教の影響だと思うが、「地位」の高い人へのはっきりした対応は、私にも韓国で染みついてしまったかもしれない。たとえば、ほかの国に行き、信徒が牧師や牧師夫人にカジュアルな対応をしていると、こちらがドキドキしてくる。ある日本人教会でも、信徒が牧師にタメ口で話していたり、「やっだー、先生!」と牧師の肩をたたいてふざけている姿を見ると、「ちょっと! 牧師になんてことを!」と間に入りたくなる。


 愛餐会で切り盛りしている牧師夫人に「私がしますので、お座りください!」と言って座らせようとし、自分の食事よりも先に牧師の食事をお皿にてんこ盛りにして持っていかなくては! とあせる自分がいたりする。


 牧師が偉いとか、地位が上とか、神様はそうごらんになってはいない。みんな召し出された者たちで、ひとつの教会に集っている家族にちがいない。そして、神様からの召しによって、それぞれの役割に生き、神様に仕えているのだ。


 でも、日本で牧会している韓国人の牧師夫婦は、日本社会を理解し、日本を愛し、みんな謙遜で、信徒によく仕えてくださっている。その姿に頭が下がる。


 韓国の某有名牧師に、日本で牧会している韓国の牧師のことを話すと、すごく感心された。「望美宣教師、今度、日本に帰るときに、彼らに私からのお土産を渡してください」「いいですよ。何ですか?」ときくと「韓国のものが懐かしいと思うから、”ゆず茶”を。望美宣教師の知っている韓国人牧師たち全員に!」といわれた。私の知っている韓国人牧師は、全員で二十人近くいるし、ゆず茶は一びん、一キロだし……。


 おそれながら、私は偉大なる牧師に申しあげた。


 「すみません、韓国海苔でもいいですか……?」

いのちのことば 2006年10月号連載 天国へのずっこけ階段

 

境界線


 宣教会の事務所の私のデスク。ペン立てに立てているボールペンが、いつもなくなってしまう。「私のボールペンだれか使っていません?」というと「ああ、昨日借りた!」とか「○○さんが使っていた」などというが、戻ってきたことは一度もない。


 デスクの上においてあるビタミン剤もハンドクリームも気がつけば減り方がやけに早い……。さっき、買ってきたガムも半分なくなっているし……。


 ある方から頂いた私への日本のお土産。ランチを食べに行って帰ってきたら、デスクから消えている。「あれ? ここにあったクッキーの包み知らない?」というと「午後にお客様がいらっしゃったので、そのお客様に出しました」という。ううっ……、絶句。


 「あれー、ここに立てかけて置いた傘、知らない?」ときけば、「○○さんが銀行に行くとかで、さしていきました」といわれる。それっきり、戻ってこない……。「あれー? この中に入っていたCD、だれか持って行きましたかー?」というと、「ああ、だれだっけなあー、貸してくれって言って、持って行ったよ!」とあっけらかんと言われる。かなり気に入っていたCDだったのに……と涙を呑んだことも度々。


 私は日本人のせいか「これは私のもの。それは、あなたのもの」という、暗黙の了解という境界線がある。韓国では、これは通用しない。韓国文化は、つまり「ビビンバ」的なのだ。スプーンでぐるぐるかき混ぜて、みんな仲良くひとつでね! という感じかも。


 私もある程度の境界線をなくし、気がつけば隣りのデスクの会計の女の子の机の上にあるはさみやボールペンを使い、さらにハンドクリームを使ったり、ガムなんかをちゃっかりもらって食べたりしている。「使ってもいい? 食べてもいい?」などというのが水くさくなってきたのだ。みんな仲良しひとつでいこうの精神になってしまったのだ。


 それを日本にいる友人に話すと「それって、《望美宣教師の図々しさ》と《麗しい初代教会の姿》の紙一重の状態じゃないの?」と言われた。まあ、そうとも言える。


 しかし、こんな私になってしまったので、日本への一時帰国の前日は、結構、緊張する。


 「粗相のないようにしなくちゃ! 他の人が頼んだ料理に勝手に手を伸ばさないように。人の私物は許可を得てから使うこと。人とぶつかったら謝るべし」


 日本仕様と韓国仕様、自由自在にチャンネルを変えられるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。


いのちのことば 2006年11月号掲載  天国へのずっこけ階段

 

日本語を話す韓国人


 韓国では、日本語を話す人が多い。


 年配の方々が日本語を話せるのは、日韓の歴史を知る方ならご存知なはず。


 さらに、学校で第二外国語として日本語を選択し、学んだことのある人も多いのだ。また、駐在員として日本に住んだ経験のある人、日本のマンガにはまっている、いわゆるオタクな人も多い。


 私は韓国に住み始めたころ、ある大学で韓国語を勉強していた。


 ある午後、ロッテマートに買い物に行き、そこのベンチで、日本語ぺらぺらな韓国人の友人に日本語で韓国語の単語を聞いていた。すると、私たちの目の前でジュースを飲んでいたおばさんが突然私たちの前にやってきてすごい勢いある日本語で「そんなことは、私に聞きなさいっ!」と乗り込んできた。唖然とする私たち。そして「韓国に来たらね、韓国語で話しなさい!」と日本語で怒られた……。


 また、八十歳になるおじいさんも含め、日本語でバイブルスタディをしていたこともあった。そのおじいさんの使う日本語がおもしろかった。


 「望美さんや、この前、あんたが連れてきたおなごは?」といわれ「え? おなご?」と聞き返した。時代劇でしか聞いたことのない単語なので面食らってしまった。


 (余談だが、台湾ではおじいさんに「また、いらっしゃい。“ツルクビ”で待っていますよ」といわれ、これは“首を長くして待っている”という解釈でいいのかと悩んだ。その後、辞書でしらべると、「鶴首(“かくしゅ”とか“つるくび”とも読む)」という単語があることを知って、さらに驚いたのだが……。) 駐在員の娘として、長く日本に住んでいた友だちも日本語が上手だが、“死語”が多いので困る。待ち合わせに遅れてくると「めんご、めんご!」(ごめんの意)だし、「この店の味は、バッチグー」とか、「ナウいカバンですね!」「そうだよ、そうだよ、ソースだよ!」などと言う。彼女が日本にいた時代の流行語だったらしい。


 大学で日本語を学んでいる女性は、「望美宣教師、今日は“カイブツ鍋”を食べに行きましょうか?」と言って来る。「はっ? 怪物鍋っ?」怪物って……一体何が入っているのか……と考えてみると、韓国では「海物鍋」と書いて「海鮮物がたくさん入っている鍋」のことだ。……ああ、びっくりした。すべてバベルの塔のせいか……。


 ことばが通じなくて大変なことはたくさんある。しかし、それを越えてひとつになれたときのうれしさを体験させるために、実は神様はことばの壁をつくったかな、と思うことにしている。


いのちのことば 2006年12月号掲 天国へのずっこけ階段

 

日本人妻たち 

 韓国人男性と結婚した日本人妻を何組か知っている。カナダやアメリカ、イギリス、中国などの留学先で知り合い、結婚して初めて韓国に住んだという人がほとんどだ。


 妻たちの中には「この前、深夜に夫婦げんかして、パトカーを呼ばれました」と笑いながら言う人もいれば、「みんな、韓国ドラマにだまされて結婚しちゃうのよね! 韓国人男性は“東洋のイタリアン”だから、女性に優しいでしょう? 日本人男性がする愛情表現しか知らないと、ころりとやられちゃうのよね……」としみじみ言う人もいる。「みんながヨン様だと思ったら、大まちがいよね!」と笑う人もいる。


 しかしながら、韓国人の夫は「日本人の奥さん、すごく怖いです」と言う。「ある晩、お酒を飲んで帰ってくると、妻が『あなた、ここに座って』と静かに言うので、座ってみると『一年前のあのとき、あなたはこう言った』『三か月前には、こんなことした』とか、過去をさかのぼって怒って、『そして、今晩はこうだ』とやっと現在に至る……。ひとつひとつよく覚えてるよ。しかも、感情むき出しにしないで静かに淡々と言うでしょ? 恐ろしいですよー。そのときに、すぐにカーッと怒ってくれたらいいのに……本当に怖い、怖い!」と笑う。


 また、ほかの韓国人夫は言う。「いやー、日本人が韓国人のようにカーッと怒るときは、お互いの関係が完全に終わってしまうときだね」


 そんな日本人妻たちも、少しずつ韓国に慣れて、たくましくなっていく。赤ちゃんをおんぶするときには、韓国で昔から使われているおぶい紐を使い、近所の若い奥さんに「あらー、懐かしいもの使っているわね」と感心されたり、韓国人でさえもスーパーで買うキムチを、自宅で作ったりする日本人妻もいる。


 「嫁いできた当時、文化の違いにとまどったわ。夫の両親や家族が遊びに来ると、タンスや引き出しを勝手に開けられたり、『貸してね!』と言われたものは返ってこないし」とある妻が言うと「そうそう! 夫の両親が泊まりに来たときには、早朝に台所から音がして、そっとのぞいてみると、両親が台所のすべての扉を開けて、チェックしてた」


 そんな妻たちが言う。「最初は大変だったけど……神様がね、私に計画を持ってて、国籍を越えて主人と結び付けてくれたからね。やっぱり、ここで生きていくことに大きな意味があるんだと思う。」


 時々、彼女たちと食事するが「ねえ、何食べる?」ときくと、口をそろえて言う。「数か月ぶりに赤くない料理がいい!」がんばれ、日本人妻たち!

いのちのことば 2007年01月号掲載 天国へのずっこけ階段

 

とりなしの祈り  


 私の所属する団体は北朝鮮宣教をしており、私もよく教会に招かれて宣教報告をする。そこで「日本から来た宣教師です」と自己紹介をすると、多くの韓国人は「日本人の宣教師? 日本から宣教師が派遣されているのか!」とか「クリスチャン人口が少ない中の貴重な宣教師ですね!」など「まず」言う。その後、教会の牧師や長老と食事をするのだが、必ず日本の話になる。


 「日本は、大きな地震が多いし、洪水もあるし、天災が多い国だね」とある長老が言うと、「日本は神様から祝福されない国だからかわいそうだ」とほかの人が言う。また「その点、韓国は三〇パーセントもクリスチャンがいるからね。韓国は神様から本当に愛されている国だ」と嬉しそうに高笑いしていた。最初のうちは私も 「なぬー!?」と思ったものだが、最近は「そんな日本のためにぜひ、お祈りしてくださいね」と言う余裕が出てきた。


 日本で宣教したことがある韓国人牧師と話したとき「日本はね、いくら伝道しても無理ですね。悪魔に囚われているから。伝道が世界で一番難しい国」と言われたこともある。


 ある時、ロサンジェルスにある韓国人教会の礼拝で、日本人クリスチャン二十人が日本語で賛美する機会があった。私たちが歌い終わったあとに、牧師が「日本のために祈りましょう」と呼びかけ、そこにいた数百人の韓国人クリスチャンが日本のために祈ってくれた。


 私たちも壇上に上がったまま祈ったのだが、私は涙が出て祈れなくなった。泣いているのは私だけではなかった。壇上の日本人だけでなく、礼拝堂にいる韓国人の多くが泣きながら祈ってくれていた。


 私は、本当に日本は愛されている国だと思った。日本は、滅ぼされて当然なのかもしれない。しかし、神様はそんな日本をあきらめない。多くのとりなし手を起こし続けていてくれる。神様の日本への情熱がそうしているのだと思う。


 ある教会に行った時、六十代ぐらいの女性が「日本のためにお祈りしていますよ。望美宣教師も日本のために、世界のために一緒に断食しながら祈りましょう」とハキハキした声でいう。「一緒に山の祈祷院に行って、三十日間断食しながら祈りましょう!」と言われた。はあ? 三十日!? 神様、すみません。急いでいるふりして、逃げてしまいました……。


*本連載は執筆者の帰国により終了し、次号からは同氏による「四十路へのずっこけ恋愛道」がはじまります。


いのちのことば 2007年02月号掲載 天国へのずっこけ階段